2020年9月14日から9月25日までの12日間に渡り、和歌山県の熊野から奈良県の吉野までを結ぶ紀伊山脈の大峯奥駈(おおみねおくがけ)に出ていました。全長100kmとも150kmとも言われ、霊山に分け入り、窟に籠り、滝に打たれながら祈りを捧げる山伏たちが千三百年にわたり踏み固めてきた修行の道です。
奥駈の “ 駈 “の語源は、江戸時代末期に書かれた逆峰手鑑の文中にある「峯中は取り急ぎ下るを詮(のり)とす。故え駈と云う」から来ているそうです。
奥駈の名のとおり、山を下る時は実際に山を駈け抜けています。ブレーキをかけることなく、酔拳やスキーヤーのように駈け抜ける。普通の人が足元をしっかりと見て、脛(スネ)と爪先を使ってブレーキをかけながら、慎重に足を運ぶのとは逆の動きになります。
下りは何もせずとも、自然と前と下の方向に推進力がつきます。普通はこの推進力を打ち消して、安全を確保しようと前と下に筋力を用いて、止まることにエネルギーを使います。
山を駈け抜けるということは、前と下に向いている意識を後ろと上へと変えることを意味します。足元をしっかり見ようと身をかがめずに背筋を伸ばす。背筋を伸ばすことで、意識が下を向かなくなります。足元はほとんど見る必要がありません。ぼんやりと掴めていれば十分です。例え木の根っこに足が引っかかっても、三半規管がバランスを取ってくれるので倒れることはありません。
そして、背中側やお尻、太ももの裏側などの背面を使います。前と下に推進力が働く状況で、意識を後ろと上に置く。この時、肚を中心とした動きが起こるようになります。前後上下のバランスを保つかのように肚から足が出てくる。足を運ぶのではありません。肚から足が”出てくる”ようになります。
上りも同じ原理です。普通は前に進もうとして太ももの前側の筋力を使います。前に進むのならば、意識は前ではなく後ろに置きます。太ももの裏側や膝の裏など背面に意識を置けば、自動的に身体は前方へと運ばれます。これは身体の使い方です。
また、踏み込んだ足の裏がぐーっと地面にどこまでも食い込んでいくことをイメージして、意識を下へと置きます。すると、バランスを保つためにもう片方の足が自動的に上へと浮き上がってきます。
上りは前と上の組み合わせですから、意識の置きどころは後と下になります。この時の中心は肚となり、肚から足が出てくる。足を出すのではなく、足が出てくることで、身体が運ばれていく感覚があります。
私は小柄な人間ですが、体重の4割に相当する荷物を背負い、急峻な山々を毎日12時間でも淡々と歩くことができます。筋力を使うのではなく、身体の使い方を知っているからです。